ZIPANG-6 TOKIO 2020【追悼】日原もとこ氏 寄稿文集15 紅花化粧はあの遊牧騎馬民族 〝匈(きょうど)奴 〞の作品だった(第四話)ACT.JT「鼎」より


           合掌



〜命を賭してシルクロードへの道を拓いた張騫〜


火焔山(かえんざん)の一部。高さ500m長さ98㎞の丘陵である。

トルファンの象徴である火焔山(かえんざん)の深く刻まれた縦じわは、赤い砂岩の山肌に炎を想像させる。西遊記では正に「炎の山」として描かれている。


紅花を古代中国に伝えた西域使節の張騫

紅花が遥々シルクロードを越えて古代中国へ齎されたのは前2世紀前漢武帝(BC140〜 87)の時代でした。それを初めて持ち帰ったのが張騫(ちょうけん)(BC164〜113)とされています。

写真右 漢武帝の悲願で匈奴挟撃作戦を築く為大月氏国へと向かう西域使節の張騫一行

写真左 前一世紀、匈奴は本拠地「祁連山脈」の麓で激しい漢~匈奴戦で壊滅。命綱の牛馬羊と紅花畑を失い、その名も歴史から姿を消した。


彼は武帝の命により、毎年本土を荒らし回る宿敵、遊牧騎馬民族の匈奴(きょうど)を挟撃する為の同盟関係を築く狙いで大月氏国へ派遣された使節でしたが、彼はゴビ砂漠に至る甘粛省を出た途端に早速、匈奴に捕まり11年間も囚われの身になりながら隙を狙って目的地、大月国(現在のアフガニスタン北部に比定)への到達を果たしたのです。

しかしその帰途、慎重に別ルートを選んだにも拘らず不運にも再び匈奴に捕まり、更に1年間を重ねる羽目に……。

結果的に、至上命令だった大月国との同盟協定は不発に終わりましたが、様々な西域諸国の情報提供と共に地理の詳細を伝える貴重な成果を収めたのです。武帝は諦めていたその奇跡的生還を喜び〝衛尉・博望侯〞という異例の抜擢を以って遇しました。

ただ紅花に関する話は史記其他を調べても、張騫自身が伝えた史実はないのですが、帰還後、彼は再び万全の陣容整え西域へ3度の派遣と外交ルートの安定化で、多様な交易品もあり、その一つであったのかもしれませんね。


紅花で化粧していた匈奴の女性たち

匈奴にとつて古代中国への侵略と、略奪行為は誠に楽しみな格好の恒例化行事でしたが、逆に非力な農民達から見れば匈奴こそまさに悪魔の権化でした。

その匈奴が命の次に大事にしたのは二つ。天馬(汗血馬)と紅花でした。

…何故それが大事か?…
史記・匈奴列伝によれば、 冒頓 (ぼくとつ)(単于ぜんう)(=首領)にとつての紅花は 、公(=后)を始め、女性達にとっては自らを美しく輝かせる命の化粧原料だったのです。しかし、紅花の色素を得るには野生種では間に合わず、安定した収穫には大規模な畑が必要でした。

その場所が現在の甘粛省河西回廊にある 祁連(きれん)山脈の麓、臙脂(えんじ)山も しくは焉支(えんじ)支山です。事実、彼らは広大な牛馬等の牧場も併設したのです。

しかし、張騫が西域から帰国後、間もなく漢の衛青(えいせい)・霍去病(かくきょへい)去病将軍率いる漢軍は一万騎を持って匈奴に挑み、激戦を繰り広げたのです。

最大の勢力を持つ北匈奴との間で、1万8千の首領級を含む兵士を捕らえたとあります。匈奴軍最大勢力だった北匈奴の首領単于は壊滅に帰して、命からがら万里の長城の外側、北漠に消え失せ、二度と歴史上にその名が復活することはありませんでした。

以来、漢民族は匈奴の貴重な宝物であったこの秘密基地をまるごと獲得した訳です。それより何より、漢軍が腰を抜かしたのは、あの誇り高き匈奴が隠れて農業に手を出していたと は……。


匈奴は歴史から姿を消しても紅花は生き続ける

紅花は歴史的にロマンと哀切に満ちた秘話を抱える。


斯くして、匈奴は歴史から完全に姿を消しました。
匈奴は文字を持ちません。漢軍は流石にこの虚しく残された秘密基地を想う匈奴に成り代わり、万感を込めて以下の絶唱を遺しました。


「失我祁連山,使我六畜不蕃息,失我焉支山,使我婦女無顏色」


〜祁連山を奪われ牛や羊と共にする生活を失った。また焉支山を失い、女たちが化粧する紅ももうない〜(訳)


斯く申す私もこの名文に繰り返しこみ上げてくるものを禁じえません。
さて、紅花のルーツを探している私には依然として疑問が残るのです。

北匈奴が壊滅しても、それ以前の内紛で漢に降った南匈奴の大勢力や、黒竜江付近奥地にも参戦しなかった支族には多くの紅花化粧の慣習は残って居る筈。

女性の美に対する執念と慣習は一朝一夕で消滅する筈がない!
現在もその化粧法が何処かに残され点在する⁈

そう確信した私でした。


脚注

※1 出国BC139~126頃帰国。

※2 匈奴独特の価値観とは…武力も持たず定住し、一生農業に携わる農民ほど馬鹿化たものはないと蔑視。

※3 千年も経た今日、同所は中国領の山丹軍用馬場として活用されている。


(次号へ続く)



風土・色彩文化研究所主宰

日原 もとこ

プロフィール

東北芸術工科大学名誉教授、広島県出身。女子美大卒。61年通産省工業技術院産業工芸試験所技官。豪州国メルボルン王立工科大学政府派遣研究員。帰国後製品科学研究所主任研究官を経て92年東北芸術工科大教授就任。専門は環境色彩学。このほか風土・色彩文化研究所を主宰、県建築サポートセンター社長、アジア文化造形学会会長、日本デザイン学会及び日本インテリア学会名誉会員。著書、訳書に色彩療法(単行本)テオ・ギンベル(著)日原もとこ(翻訳)等



協力(敬称略)

特定非営利活動法人 ACT.JT(アクトジェイティ)
〒170-0013 東京都豊島区東池袋5-7-4 マーブル東池袋7F 電話:03-6914-0325
「鼎」制作:赤坂明子 



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