ZIPANG-6 TOKIO 2020 上皇陛下のご近況について (お誕生日に際し)(令和4年)


上皇陛下お誕生日おめでとうございます。


                上皇上皇后両陛下



                             令和4年12月23日:上皇職


上皇陛下は、今年、89歳のお誕生日をお迎えになります。




令和2年3月の仙洞仮御所(港区高輪)へのご移居を経て、本年4月、旧赤坂御所である仙洞御所にご入居になり、ご準備も含めた足かけ3年に及ぶ皇居からのご転居を終え、平成5年12月まで33年余お住まいになった思い出の地にお戻りになりました。


この一年もまた、新型コロナウイルスの感染拡大が続き、東京大学医学部附属病院及び皇居内の宮内庁病院、生物学研究所を除き、今年6月に沖縄復帰50年記念特別展「琉球」、「沖縄復帰50周年記念特別展・公文書でたどる沖縄の日本復帰」、12月に学習院大学史料館で開催された特別展「ある皇族の100年―三笠宮崇仁親王とその時代―」をご覧になった他、外へのお出ましはありませんでした。


陛下は、これまでと同様に、上皇后さまとご一緒に、静かに穏やかな日々を規則正しくお過ごしです。


毎日、ご起床後に上皇后さまとお庭をご散策になり、お戻り後にお食堂の水槽で飼われているチチブハゼに餌をお与えになります。7時のTVニュースをご覧になりながら朝食をおとりになり、その後はゆっくりと新聞に目を通され、上皇后さまと本を音読なさいます。


東宮時代からこれまでにモンテーニュの「随想録」、パスカルの「パンセ」、堀辰雄の「大和路・信濃路」、寺田寅彦の随筆などをご一緒に読んでこられましたが、最近は、お二方が共に小学生五年時に学ばれた国語の教科書を読み返していらっしゃいます。9時には上皇后さまとご一緒に、当直の侍従から当日の上皇上皇后両陛下のご日程、皇室全体のご動静について説明をお受けになります。また、国内外で発生している出来事についても話題となさり、説明をお受けになっています。


毎週、月曜日と金曜日の午前午後は皇居生物学研究所で、水曜日午前は仙洞御所で、生物学研究所職員とハゼ科魚類の分類に関する研究を進めておられ、国内外の論文を確認されたり、標本を顕微鏡でご覧になったり、2か月に一回開催される魚類分類研究会のオンライン会合に可能な限りご参加になっています。ご研究がない日の午前は、日本や世界各地の歴史、文化、自然等を紹介するテレビ番組の録画を上皇后さまや侍従とご覧になります。


夕方には、上皇后さまがお付き添いになり、赤坂御用地内を30分程ご散策になっています。隣接する迎賓館は、かつて東宮仮御所があった場所で、陛下は昭和12年3月から沼津にご疎開になる昭和19年5月までお住まいでしたが、10月の迎賓館休館日に一度、その辺りもご散策になりました。


ご散策からお戻り後は、上皇后さまとご一緒に、お供した職員と暫くご歓談になります。最近では、ワールドカップサッカー日本代表の活躍が話題となっていました。その他、午後には、読書をなさったり、大相撲の時期にはテレビ中継もお楽しみでした。


ご夕餐後の一時は、侍従が上がり、1953年の初めての英国ご訪問を始め、これまでの国内外のご訪問について、当時の記録集を見ながらお話を伺う時間になっています。


ご体調については、今年6月頃から、体重がやや増加し、血液検査のBNP値が上昇したため、胸部レントゲン検査をお受けいただいたところ、心拡大、胸水貯留など心不全の所見がみられたことから、7月24日、東京大学医学部附属病院において心臓MRI検査をお受けになった結果、三尖弁閉鎖不全による右心不全と診断されました。


その後の経過については、6月末からの薬の服用、水分の摂取制限、ご運動を控えめにするといった内科的治療をお続けいただいた結果、現在、右心不全の所見は改善されつつあります。また、9月19日には左眼の白内障手術を、9月25日には右眼の白内障及び緑内障の手術を、いずれも同じく東京大学医学部附属病院においてお受けになり、無事にお済ませになりました。術後の経過は良好であります。


宮中祭祀が行われる間、陛下は上皇后さまと共に、今も静かにお慎みになっていらっしゃいます。今年も新嘗祭に際し、両陛下は天皇陛下の出御しゅつぎょに合わせてお慎みの時を過ごされ、暁の儀が終了する深夜までお慎みになりました。


沖縄県慰霊の日、広島・長崎原爆の日、終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には、上皇后さまと共に、テレビ中継に合わせて黙祷をなさっています。


戦争を振り返るお話の中で、東京都小金井市でお過ごしになった頃の思い出もありました。陛下は、空襲で校舎を焼失した学習院中等科が同市で授業を再開したことから、学習院中等科1年生でいらした昭和21年5月から高等科1年生になられた昭和24年12月まで、現在「江戸東京たてもの園」となっている敷地に、当時の葉山御用邸の供奉員宿舎を移築して建てられた東宮御仮寓所にお住まいになって、授業をお受けになり、卓球やテニスを少しずつお始めになりました。周囲に麦畑が広がっていた光景など、今でも当時を懐かしく思い起こされ、側近にお話し下さいます。


かつて、その頃のお話を陛下からお聞きになった上皇后さまは、昭和49年、「麦の穂」と題して、「思ひゑがく 小金井の里 麦の穂揺れ 少年の日の君立ち給ふ」と御歌をお詠みになっています。


9月には英国女王エリザベス2世陛下が崩御され、深いお悲しみのうちに、女王陛下の戴冠式ご参列以来69年間に及ぶご交流を思い起こされ、これまでのご親交に感謝なさりつつご冥福をお祈りになっていらっしゃいました。


とりわけ、昭和51年6月の英国ご訪問の際に、上皇后さまと共に女王陛下と乗馬を楽しまれ、ウィンザー城からアスコット競馬場まで足を伸ばされたこと、平成10年5月に先の大戦による反日感情が未だ影を落としていた英国をご訪問になった折のこと、平成24年2月の冠動脈バイパスご手術3か月後に女王エリザベス2世陛下ご即位60周年祝賀行事にご参列になったことなどは印象深く記憶されており、お話し下さることがありました。


ご研究については、現在、生物学研究所職員と二つの課題に取り組まれています。


一つは、生息域が重複するチチブとヌマチチブについて、それぞれの鰾うきぶくろの形状や鰭ひれの動きと遊泳行動の関係を明らかにするとともに、同一水系内で棲み分けている両種の生息環境の違いを確認するためのご研究です。


これまでの標本や水槽遊泳を対象とする形質的観察に加え、他の研究者のCTスキャン骨格解析の結果も取り入れられるなど、研究手法を広げられています。


二つ目は、日本産クモハゼ属の分類学的研究です。陛下は1980年の共著者との論文(「日本で採集されたクモハゼ属 Bathygobius 6種について」魚類学雑誌 27巻 3号)で、クモハゼ属を分類するための特徴的な体形質を抽出され、その6種を分類されましたが、その後に新たに4種のクモハゼ属が日本に分布していることが確認されました。


このため、現在、この4種を含め、当時発表された体形質上の分類指標がなお有効であるかを確認するための研究をなさっています。


今年のお誕生日行事は、現在の状況を踏まえ、別紙※のように控え目に行うこととしています。


                 赤坂御用地にて




※別紙



想い出


皇太子殿下時代の上皇陛下                                  Ⓒ 鎹八咫烏



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(順不同・敬称略)

宮内庁

紅山子(こうざんし)



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愛子内親王殿下ご成年をお迎えになっての記者会見

会見年月日:令和4年3月17日
会見場所:御所大広間


                                          記者会見をなさる愛子内親王殿下


問1 ご成年を迎えられたお気持ちをお聞かせください。成年皇族として公務や行事に取り組まれた感想と,今後の活動や抱負についてもお聞かせください。

殿下

まずお答えに先立ちまして,昨夜の地震により,亡くなられた方がいらっしゃると伺いまして心が痛んでおります。御遺族の皆様と被災された方々に,心よりお見舞いを申し上げます。

では,質問にお答えいたします。昨年12月1日に成年を迎えまして,まず二十歳はたちという節目を無事に迎えることができましたことを嬉うれしく思っております。そして,今までの,あっという間のようで長くも感じられる充実した月日を振り返りますと,これまでのあらゆる経験は,多くの方の支えや御協力があってこそ成し得たものであると身をもって感じております。これまで様々な形で支えていただき,成年を温かく祝福してくださった皆様に,心より感謝をお伝えしたいと思います。

誕生日当日は,成年を迎えたという実感がまだあまり湧いておりませんでしたが,12月5日の成年行事の折に天皇陛下より勲章を親授していただきまして,初めて身に着けた時に,勲章の重みをひしひしと感じて,身の引き締まる思いがいたしました。そして,新年には,成年皇族として初めて「新年祝賀の儀」に出席しまして,また年末から年始にかけてはいくつかの宮中祭祀にも参列いたしまして,初めてのことばかりで緊張もございましたし,これまで両親から話を聞くだけであった行事に自分が参加しているということには少し不思議な心持ちがいたしましたけれども,自分が成年皇族の一員であるという自覚が芽生え,個々の行事に責任感を持って臨まなければならないと感じた瞬間でございました。

今後につきましては,まだ大学生でございますので,当面は学業を優先させていただきながらにはなりますが,一つ一つのお務めを大切にしながら,少しでも両陛下や他の皇族方のお力になれますよう,私のできる限り,精一杯務めさせていただきたいと考えております。

問2 ご自身の性格や長所・短所について,具体的なエピソードを交えてご紹介ください。日々の生活で興味のあることや趣味,国内外の出来事で関心のあることについてお聞かせください。

殿下

私の性格は,友人や周りの方からは,「穏やか」であったり,「無邪気」と言われることが比較的多いような気がいたします。長所は,自分ではなかなか気付きにくいものでございますけれども,事前にこの御質問を頂いたのでじっくりと考えてみまして,強いて申し上げるなら,「どこでも寝られるところ」でしょうか。以前,栃木県にある那須の御用邸に行き,その着いた晩に,縁側にあるソファーで寝てしまい,そのまま翌朝を迎えた,なんてこともございました。短所といたしましては,今のエピソードからお分かりかもしれませんが,自由に伸び伸びと育ったようで,「少しマイペースな部分があるところ」だと自覚しております。また,小さい頃から人見知りのところがございますので,これから頑張って克服することができれば,と思います。

普段は,飼っている生き物のお世話をしたり,時間があるときには音楽を聞いたり,運動をしたりして過ごしております。昔から体を動かすことが好きですので,父と一緒に敷地内をジョギングしたり,以前は家族3人でテニスをしたり,現在は新型コロナウイルス感染症の感染対策を徹底しつつ,職員とマスクを着用したままバドミントンやバレーボールをしたりすることもございます。

日々の生活では,緑豊かなところに住んでおりますので,自然には興味がございます。移居の後,敷地内を探索する時間がまだ十分には取れておりませんけれども,皇居にはどのような生き物が生息し,どのような生態系が広がっているのかということは,とても気になります。

また,国内外の関心事につきましては,近年自然災害が増え,また,その規模も徐々に大きくなってきていることを心配しています。そのような中で,ボランティアとして被災地で活躍されている方々の様子をテレビなどの報道で目にしまして,自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく,人の役に立とうと懸命に活動されている姿に非常に感銘を受けました。私の親しい友人にも,東日本大震災で被災した福島県の復興支援にボランティアとして携わっている友人がおりまして,私自身,災害ボランティアなどのボランティアにも関心を持っております。そしてもう一つ,盲導犬や聴導犬といった働く動物たちにも,学校主催のイベントや,動物についてのフォーラムの折などに触れる機会がございまして,動物好きの私といたしましては,心惹ひかれるものがございます。

問3 愛子さまにとって,天皇皇后両陛下はどのようなご両親ですか。思い出や日々の会話についてご紹介ください。両陛下や上皇ご夫妻をはじめとする皆さまから,皇室の一員としてのあり方をどのように学ばれていますか。

殿下

両親は,私の喜びを自分のことのように喜び,私が困っているときは自分のことのように悩み,親身に相談に乗ってくれるような,私がどのような状況にありましても,一番近くで寄り添ってくれるかけがえのない有り難い存在でございます。これまでたくさんの愛情を注ぎ育ててくださったことに深く感謝しております。また,両親と話をしておりますと,豊富な知識や経験に驚かされることが多々ございまして,また,両親の物事に対する考え方や,人との接し方などからは学ぶことが多くございます。

両親との思い出といいますと,やはり私の学校の長期休みに出掛けた旅行のことが真っ先に思い浮かびます。どの旅行も非常に思い出深いものでございますけれども,静岡県の下田市にある須崎御用邸に行き,海で泳いでいる時に,綺き麗なお魚の群れを発見して皆で観賞しましたり,また,須崎はほとんど波のない穏やかな海でございますけれども,サーフボードを浮かべて,そこに3人で座る挑戦をして,見事全員で落下した思い出など,お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません。

日頃から,家族では,その日にあった出来事などいろいろな話をいたします。最近では,北京オリンピックやパラリンピックを観戦して,その試合の様子について話したり,感動を共有したりいたしました。アスリートの皆さんのひたむきに競技に打ち込まれる姿や,夢の舞台を最大限に楽しもうとされる姿には,たくさんの感動や希望,そして勇気を頂きました。

また,両親と一緒に,飼っている犬や猫と触れ合う時間も,私の心安らぐ時間になっていると感じております。

これからも,ペットを含め,家族で過ごす時間を大事にしてまいりたいと思っております。

続きまして,皇室の一員としての在り方をどのように学んでいるかということでございますけれども,私は幼い頃から,天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下を始め,皇室の皆様が,国民に寄り添われる姿や,真摯に御公務に取り組まれるお姿を拝見しながら育ちました。そのような中で,上皇陛下が折に触れておっしゃっていて,天皇陛下にも受け継がれている,皇室は,国民の幸福を常に願い,国民と苦楽を共にしながら務めを果たす,ということが基本であり,最も大切にすべき精神であると,私は認識しております。「国民と苦楽を共にする」ということの一つには,皇室の皆様の御活動を拝見しておりますと,「被災地に心を寄せ続ける」ということであるように思われます。先週で東日本大震災から11年の時が経過いたしました。街には徐々に活気が戻ってきているようにもうかがわれますけれども,いまだに2,500人以上もの方の行方が分かっておらず,また,4万人近い方が今もなお避難生活を続けていらっしゃいます。被災された方々の心の傷が癒えるのは容易なことではないと思いますし,また,時間を要するものであると想像されます。そういった苦難の道を歩まれている方々に思いを寄せ続けるということも,大切にしていくことができればと思っております。

また,皇室の皆様は,歴史であったり,生物であったり,児童文学であったり,様々な福祉活動に携わっていらっしゃったりと,御自身の関心のある分野を深めていらっしゃいます。お一方お一方がそれぞれに専門とされるような分野をお持ちでいらっしゃって,その深い知識を公的なお仕事にも役立てられている御様子を拝見いたしますと,このような立場で研鑽さんを積むということの意義をお示しくださっているように思います。

そのほかにも,行事の際などに皇室の皆様にお目に掛かった折には,皆様の御所作や立ち居振る舞いをお側そばで拝見し,そのなさりようをお手本とさせていただきながら,少しでも皆様に近づくことができますよう,努力したいと思っております。

問4 大学生活について伺います。どのような分野に関心を持って学ばれていて,新型コロナウイルスの影響をどう受け止めていらっしゃいますか。海外留学や大学院進学など今後の進路について,夢や目標をお聞かせください。

殿下

私は,現在,学習院大学の文学部日本語日本文学科に在籍しております。本学科では,2年次に,日本語日本文学系と日本語教育系の二つのコースに分かれ,私は前者の日本語日本文学系を選択いたしました。日本語日本文学の,日本語学の方は,日本語のルーツや文法など,日本語に関する基礎的な事柄を幅広く学習しております。一方の日本文学につきましては,平安時代から昭和初期にかけての多様な文学を通して様々な考察を深める授業であったり,紀行文を民俗学的な視点で読む授業などを履修しております。

関心のある分野は,いまだ模索中といったところではございますが,以前から興味を持っておりました,『源氏物語』などの平安時代の文学作品,物語作品を始め,古典文学には,引き続き関心を持っております。

この約2年間,新型コロナウイルス感染症の蔓まん延により,多くの学校関係者,先生方や学生さんが,様々な面で不便を感じつつ,試行錯誤しながら学校生活と向き合ってこられているのではないかと思います。私も,現在,大学の2年目が終了したところでございますが,感染防止の観点から,普段は大学には通学せず,全科目をオンラインで受講しております。学習院大学では,対面授業を再開している教科も一部ございますが,そのような授業については,対面とオンライン両方の受講を可能とするハイブリッド形式により,授業の同時配信をしていただいており,そういった先生方の御配慮のお陰で,学業が続けられていることを有り難く思っております。新型コロナウイルス感染症の感染拡大が一日も早く収束し,このような厳しい状況が落ち着いた先に,少しでも不安の少ない環境で,皆が有意義な学校生活を送ることのできる未来が待っていることを願っております。

最後に,私の今後の進路につきましては,現時点ではまだ考えがまとまっておらず,これからの大学生活を通して,知識を広げながら自分の興味を深めていく中で,決めていくことができればと思います。

問5 ご自身の結婚について,どのようなお考えをお持ちでしょうか。理想の時期やパートナー像があれば併せてお聞かせください。小室眞子さんの結婚の経緯をどのように受け止められましたか。

殿下

結婚は,私にとってはまだ先のことのように感じられ,今まで意識したことはございません。理想のお相手については,特別これといったものはございませんが,一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております。

眞子さんの結婚の経緯につきましては,朝見の儀や納采の儀などの儀式を行わない運びとなったのは,天皇陛下や秋篠宮皇嗣殿下の御判断によるものと伺っておりますので,私から発言することは控えさせていただきたいと思います。

眞子さんは,私の10歳年上でございますので,物心付いたときには既に頼りになるお姉様のような存在で,周りを見渡し,自ら率先してお手伝いをされる姿が特に印象に残っております。また,私が生まれた当初から同じ敷地内に住んでいらっしゃいましたので,赤坂のお庭で一緒に遊んでいただいたことや,折に触れて楽しくお話をさせていただいたり,ゲームで盛り上がったりしたことは,私の眞子さんとの大切な思い出でございます。幼い頃から,いつも変わらず明るく,優しく接していただいたことを有り難く思うとともに,従姉妹いとことして,末永いお幸せをお祈りしております。

関連質問1 先ほど,両陛下との御関係の中で,愛情深く育てていただいたという感謝の気持ちですとか,ちょっと楽しいエピソードも御紹介いただきましたが,愛子さまのこれまで歩んでこられて,困難に直面された時に,両陛下からどんなお支えや言葉があったのか,また,愛子さまのお生まれになった時に,皇后さまが「生まれてきてくれてありがとう」とおっしゃったことを御存じかと思うんですけれども,今,二十歳はたちをお迎えになって,愛子さまが逆に両陛下にお伝えになりたい言葉がもしあればお聞かせください。

殿下

具体的にどのような言葉というのは,ここでは差し控えさせていただきたいと思うのでございますけれども,両親は私がどのような状況にありましてもいつも私の気持ちに寄り添ってくれて,また,何か問題に直面した時は,その問題に真剣に向き合ってくれまして,私の意見や考え,気持ちを尊重しつつ,的確なアドバイスをくれたように思います。そして,両親からもらった大きな愛情や励ましが,そのような時に私の支えとなっておりました。また,両親にどのような言葉を伝えたいかという御質問でございますけれども,母の「生まれてきてくれてありがとう」という言葉に掛けて,私も「生んでくれてありがとう」と伝えたいと思います。また,これまで両親には様々な機会を与えていただいたり,私の成長を,愛情を持って温かく見守ってきていただいていて,そして,そういった両親の生活面で支えてくれているところなどにも深く感謝しておりますので,そのことについてお礼を伝えたいと思います。そして,「これからもどうかお体を大切に。これからも長く一緒に時間を過ごせますように」という言葉も添えたいと思います。以上でございます。

関連質問2 愛子さまは中学の卒業文集で世界の平和を願う文章をつづられて,私もその文章に大変感銘を受けた者の一人なんですが。

殿下

ありがとうございます。

記者

今のウクライナ情勢がですね,緊迫度を増していまして,ウクライナ人の多くの方が犠牲を強いられ,核の脅威にもさらされているのが今の現状なんですが,愛子さまはどのように日々のそういった現状を御覧になっておられますか。

殿下

そうでございますね。ウクライナ国内で多くの尊い命が失われていることに非常に心を痛めております。現在の国際情勢は厳しいものがございますが,天皇陛下がお誕生日の記者会見の折におっしゃった言葉と同じ言葉をそのままお伝えしたいと思うので,メモを見させていただきます。お誕生日の御会見では「国と国との間では,様々な緊張関係が今も存在しますが,人と人との交流が,国や地域の境界を越えて,お互いを認め合う,平和な世界につながってほしいと願っております」というお考えを示されましたが,私もこのお考えと同じ思いでおります。今広島の文集の話もしていただきましたけれども,私は中学3年生のときに広島を訪れ,原爆ドームとそれに併設する広島平和記念資料館を訪れましたが,その時に見た,目を覆いたくなるほどのとても凄惨な光景を今でもはっきりと覚えております。その時に平和の尊さを改めて強く感じまして,私は今でも平和への強い願いを持っております。以上でございます。

記者

ありがとうございます。

関連質問3 この度は新型コロナウイルスがあり,またウクライナ情勢があり,また夕べは地震もございました。そのような中で,今日の記者会見についてどのようなことを大切に準備に臨まれたのでしょうか。また,天皇皇后両陛下からのアドバイスがあればそれもお教えください。

殿下

どのようなことを大切に準備したかと申しますと,一つ一つの御質問,事前に頂いた御質問に対して,なるべく具体的に自分の言葉で自分の思いを皆さんに知っていただけるように伝えたいと思って準備してまいりました。その準備に当たっては,両親から「もうちょっとこの言い方はこっちの方がいいんじゃないか」ですとか,そういうアドバイスを頂いたりしました。また,天皇陛下や皇后陛下,両親がその記者会見に臨んだ時の体験も踏まえて「こういうふうにすると緊張が少し和らぐよ」などのアドバイスをもらったりして,それを今,少し実践できているような気がいたします。以上でございます。

記者

差し支えがなければ,どのようなことで緊張が和らぐのか,そのことをお聞かせいただけますか。

殿下

父から聞きましたのは,聞いてくださっている皆さんの顔,お一人お一人の顔を見ながら,目を合わせつつ,自分の伝えようという気持ちを持って話していくというのがコツだというふうに,他にもございますけれども,そのようなことをいろいろ教えていただきました。以上でございます。



ZIPANG-6 TOKIO 2020愛子内親王殿下のお誕生日に際してのご近影
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/39586439



想い出〜平成天皇最後の御誕生日に寄せて〜

今上天皇(当時は皇太子殿下)に初めてお目にかかったのは、昭和34年(1959年10月4日),昭和天皇の御名代として,伊勢湾台風の被害を受けた地域を御訪問された時の話です。

小生は、熱田神宮の近くに住んでいたので、幸いにも我家はあと3ミリという、すんでのところで床上浸水を免れました。しかし、床板や畳の裏はビショビショで畳替えが必要でした。

※伊勢湾台風とは 1959年(昭和34年)9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心とし、ほぼ全国にわたって甚大な被害を及ぼした台風である。伊勢湾沿岸の愛知県・三重県の被害が特に甚大であり、「伊勢湾台風」と呼ばれることとなった。

そんな折、小学校の先生から皇太子殿下が、名古屋お見舞いご訪問時には広小路通りにある名古屋観光ホテル※に宿泊されるとのことを聞き及び、あることを思いついたのです。

※名古屋観光ホテル(写真は旧館)

大戦後は1945年9月26日より、進駐軍に施設を接収されたが、1956年10月、国からの接収解除の通達を受け、同年12月より営業を再開した。 営業再開後は、昭和天皇皇后両陛下、皇太子殿下、各国の皇帝・国王にも御滞在をいただく機会を得、戦前以上に"中部の迎賓館"として、その存在感を広く認知されることとなった。



※広小路通りに面した錦一丁目は、名古屋を代表する中心地ですが、当時はまだ周囲はほとんどが瓦屋根の商店街に取り囲まれていました。

当時小学校の低学年だった小生は、何を考えたのか個人的に皇太子殿下にお目にかかり何かを話したい(思い出せません)と思ったようで、その当日、級友と二人、徒歩で早朝出発したのです。※御出発時刻までには何とか間に合いましたが、皇太子殿下が名古屋御訪問のニユースをいち早く耳にした大人たちが門の外まで溢れていてとても中にまで入れる状況ではありませんでした。

※熱田神宮ー広小路通りまでの車道の距離は現在6.7kmであるが、当時はいくつかの支線もあり完璧舗装とは言い難く、子供の足でゆうに二時間は掛かった。

当時の名古屋観光ホテルは、クラッシックな建物で子供の目には本館までのアプローチが長く、しかも堅固な石門があり一般人が簡単に入れる雰囲気ではなかったのです。

ましてや、背丈は大人たちの半分くらいしかなく、このままだと押しつぶされるかも?と危険を感じた小生は、石柱塔の上によじ登り、へばりついて皇太子殿下の車を待ったのでした。するとホテルの彼方から御料車が近づき…、正門の石柱塔に這いつくばった小生は何だったか?用意して来た言葉を叫びました、すると車の窓からこの有様に目を停められた皇太子殿下は危ない!と思われたのか、手を振って何か声をかけられたように見えました。

このときの小生の感動をお察し下さい。思わずヤツタ〜と打ち震えたものです。

斯くして、小生と連れの悪童U君は、二人だけが学校内で皇太子殿下に拝謁したという評判が立ち、いつの間にかクラスの英雄になっていましたっけ。(笑) ええ〜勿論!その後、我々は英雄気取りで校内を闊歩したモンです。♫

予期もしない、ほんの一瞬の出来事だったのですが、今も忘れ得ぬ鮮烈なる想い出、自慢ばなしとなりました。


ZIPANG-2 TOKIO 2020「天皇陛下 御誕生日おめでとうございます。平成天皇として最後の記者会見『声を震わせ国民と皇后陛下に感謝を』」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5453742



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ZIPANG-6 TOKIO 2020

これまでの、日本の精神文化と国土の美しさについて再発見に加えて その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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