ZIPANG-6 TOKIO 2020【追悼】日原もとこ氏 寄稿文集13 ~ 日本で‘‘マドンナ’’ シルクロードで‘‘侍女待遇’’ ~(第二話)ACT.JT「鼎」より


           合掌




日出ずる国「日本」

宮崎県 鵜戸神宮(日の出)


静岡県 浅間大社奥宮(富士山ご来光)


三重県 伊勢神宮 宇治橋(冬至)


鼎33号では、紅花染めの赤色が特別視されたのは日本が"日出ずる国※¹" であり、国家の象徴色=紅花染料であった件のお話をさせて頂きました。



我が国では身分、官位の序列が「冠位十二階」(推古天皇摂政聖徳太子による603年)を以って初めて冠の色で制定されたことを述べましたが、ご面倒でもおさらいのつもりです。

その順位は下表の如く古代中国の陰陽五行説に基き、左先頭の濃紫,薄紫を省く(紫色=古代中国皇帝の最高位色の為)以下、青、赤、黃、白、黒の順に夫々春、夏、中、秋、冬の季節に対応したものです。


表1.「冠位十二階」にみる身分の色順序


脚注

※1. "日出ずる国" 聖徳太の有名な言葉;倭王から隋皇帝煬帝に宛てた国書が、『隋書』「東夷傳俀國傳」に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)結果は当然天下の陏皇帝に対するこの小国分際の口上に煬帝は怒り心頭に…。

※2. 遣唐使派遣制度は630年犬上御田鍬∼838年慈覚大師円仁迄の期間、約200年間続く。

※3. 卑弥呼も使った?古代赤、ベニバナ花粉が大量出土2007年10月15日asahi.com記事より。

※4. 広島県の呉市では地名由縁「呉藍祭り」が行われる。中国三国時代(2~3世紀)の「呉(ご)」から伝来したことに由来するという。


貴族女性を虜にした紅花染めのオーラ 

紅花は遣唐※²によってもたらされたことになっています。しかし、近年、大幅な見直しがなされています。大和市の纒向古墳※³から大量の染色痕跡が発見されたからです。

ところで、江戸時代中期にはその紅花の生産本拠地が山形県だったことは余り知られていないようです。ましてやその原産地がエジプト乃至西アジアだとするに至っては、今や現代人には殆んど無縁の話題かも知れませんね。

それが明治時代に入ると、この天然染料は日本に限らず、世界的に急速に途絶えてしまったのです。その原因は、英国科学者ウィリアム・ヘンリー・パーキン (1837-1907)発見によるアニリン染料(合成染料の原料)やモーブ染料(赤紫色の塩基性染料)等の発明によって一気に多種多様な合成染料が得られるようになったからです。

それ迄衣服等の布類を染める為には一つ一つ手間暇掛けた手仕事でしたが、一挙に量産化革命をもたらしたのです。因みにパーキンがそれを発見したのは彼が18歳の時でした。


斎王と女官たち 明和町「斎宮」


話は元に戻り、「冠位十二階位」発令後、幾度も修正があり、本格化したのは平安中期の養老令にみる衣服令からでした。これには「礼服」「朝服」「制服」の三種があり、最初の二つは順に大礼行事、次が宮人は職階に応じた服装、無位のものでも宮中参内時は黄色。最後は庶民も心得として、無位は黄色。家人(一般)、奴婢は橡(つるばみ)、墨衣でした。

…と細かく色ばかりか織りや刺繍等細部にわたる規定があるにも関わらず、宮中貴婦人たちはその奥ゆかしくも鮮やな赤色に魂を奪われ競って紅花染めに身をやつしたのです。規則なんてなんのその。管理部は次々と反則を犯す女性たちに手を焼いたようです。

ここ迄が、紅花染が我国で如何に高嶺の花であり得たかの長話。要は其処を強調したかったからなんです。失礼しました。


山形県花「紅花」河北町


山形県 紅花まつり 紅花摘み


さて、私ごとですが、前述の山形県で第二の人生を歩むことになったご縁で、定年近くになって思わぬ大仕事が舞い込んで参りました。それがまた想定外の難問で、県花である紅花のルーツを辿り、東北文化との繋がりを考察せよ…とするプロでも頭を抱え込みそうなテーマです。

しかも私に課せられたのは優秀なる映像系の学生OBをカメラマンとして同行させるので、貴女はチームリーダーとして、色彩学の視点から映像アーカイブス作品を制作するのが条件だ…というのです。

実はこの年、サーズと名付けられた世界的に大恐慌を来した悪性インフルエンザの大流行真っ最中だったから堪りません。

しかし、この千載一遇のチャンスに、厚かましくも躊躇しなかった私も私ですが、ド素人の身分でその後5年間のシルクロード探査に携わる運命になろうとは…。

さて、「日本のマドンナ紅花が本場シルクロードでは侍女」というセンセーシヨルなタイトルについてですが、本当はこんなタネ明かし的見出しを挙げる前に、多くの状況設定が必要なのです。しかし、もうすでに紙面が尽きてしまいました。このプロジェクトは紅花を主人公にした5年間の見聞記ですから。


毎回、シルクロードのオアシス都市を歩き回った結果、紅花が最後のデビュー舞台となるのは大抵は多くの旅人が交差する大バザールでした。

その形は大ドームであったり、何条もの格子状の通りに向かい合った個人商店のテントが延々と続くマーケット街であったりですが、多分あの広大なシルクロードでは日本からの直行便はあり得ず、一旦、上海か北京経由でシルクロード諸国への国内便へと乗り継ぐのです。

毎回古代から名高いオアシス都市をめざすのですが、何れもりっぱな独立国ですから、日本国内の主要都市への移動と訳が違います。その何れの国も果てしなき道をジープでの移動は何度も早朝5∼6時出発。目的地到着夜更けの22∼23時などざらなのです。

それでは、今回はこのくらいで。紅花ルーツ巡りの話は、次号につづきます。

 (次号へつづく) 


脚注

※1. "日出ずる国" 聖徳太の有名な言葉;倭王から隋皇帝煬帝に宛てた国書が、『隋書』「東夷傳俀國傳」に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)結果は当然天下の陏皇帝に対するこの小国分際の口上に煬帝は怒り心頭に…。

※2. 遣唐使派遣制度は630年犬上御田鍬∼838年慈覚大師円仁迄の期間、約200年間続く。

※3. 卑弥呼も使った?古代赤、ベニバナ花粉が大量出土2007年10月15日asahi.com記事より。

※4. 広島県の呉市では地名由縁「呉藍祭り」が行われる。中国三国時代(2~3世紀)の「呉(ご)」から伝来したことに由来するという。



風土・色彩文化研究所主宰

日原 もとこ

プロフィール

東北芸術工科大学名誉教授、広島県出身。女子美大卒。61 年通産省工業技術院産業工芸試験所技官。豪州国メルボルン王立工科大学政府派遣研究員。帰国後製品科学研究所主任研究官を経て92 年東北芸術工科大教授就任。専門は環境色彩学。このほか風土・色彩文化研究所を主宰、県建築サポートセンター社長、アジア文化造形学会会長、日本デザイン学会及び日本インテリア学会名誉会員。著書、訳書に色彩療法 (単行本)テオ・ギンベル(著)日原もとこ(翻訳)等



協力(敬称略)

特定非営利活動法人 ACT.JT(アクトジェイティ)
〒170-0013 東京都豊島区東池袋5-7-4 マーブル東池袋7F 電話:03-6914-0325
「鼎」制作:赤坂明子



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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)



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ZIPANG-6 TOKIO 2020

これまでの、日本の精神文化と国土の美しさについて再発見に加えて その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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