合掌
〜山形−山の向こうのもう一つの日本〜
日本はある意味で2つの違った国で成り立っています。一つは、巨大な工場や切れ目なく続く都市、そして東京一帯から北九州まで延々と続く高速道路から成り立っています。この意味での日本は、近年他の国々に知られるようになりましたが、たいして魅力的ではありません。生活環境が制約されていて快適ではありません。自然自体も、人間の圧力によって無慈悲にも脅びやかされてきています。
ところが、このおびただしい主要地域とは遠くない所に、もう一つの日本が存在するのです。そこには、果てしなく続く山脈や大森林が広がり、そしてあちこちに点在する村や町や小都市の住民にとって、とても快適な生活空間があります。日本の本来の姿を思い出させる美しいところです。
それは、松尾芭蕉が300 年前にかの有名な旅行で山形を訪れた時に目に映ったものであり、私自身が20年以上も前に山形に旅した時に感じたものです。山形が過去の日本であるばかりでなく将来の日本であると共に発展の余地があり、しかもその発展には自然と人間の喜ばしい均衡を決して損なうことのないものであって欲しいと私は望んでいます。
(本文に続く・・・)
山形 遊佐町 鳥海山
鳥海山は、山形県と秋田県の県境にあって、日本海に面し、標高2,236メートル。またの名を出羽富士とも呼ばれ、山麓周辺の人々の守り神として、古くから崇められてきました。
山形 山寺 五大堂
ZIPANG-2 TOKIO 2020
「山の向こうのもう一つの日本【寄稿文】紅山子 日原もとこ」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4539875/
〜私がまんだらの里 作谷沢に足を運ぶ理由〜
そもそもこの里との馴れ初めは、1991年、私が東北に始めて創設される東北芸術工科大学が山形の地で開学の運びとなり、それに伴って31年間勤めたつくばの国立研を中途退職して、こちらの大学で人生初めての教鞭を取ることになったのです。
さて、この転職に対して当初躊躇いは勿論ありました。それは恥ずかしながら冷え性の私は何が苦手かと問われれば、真っ先に"寒いこと"なのですから。(笑)
勿論それは何十もあった理由のうち、この雪の芸術祭だけは30年間は持ち堪えたい〜‼️その一念で山形の地に腰を下ろしてしまいました。
では何故ご当地を選んでしまったのか?と問われれば、日本列島でも西南に位置する広島生まれの当時7歳だった私は、原爆体験のトラウマを抱えていたからだと思います。
(本文に続く・・・)
奉納儀式の舞
まんだらの里・雪の芸術祭で最も大事にしていることは、開会式にあたり、たった15分間という短い時間を使って、此処の土地神様、仏様、ご先祖様にお祈りが捧げられます。
広島 原爆ドーム
あの原爆の世界的シンボルとなった原爆ドームの川向かいに建てられていた小学校に通学…
ZIPANG-2 TOKIO 2020〜今年のイベントに大注目‼️〜「本年"まんだらの里 雪の芸術祭"は28年目を迎えました。 ~山形発~ 【寄稿文】まんだら塾長 日原もとこ(前編)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5675258/
続く・・・
【寄稿文】 紅山子( こうざんし ) 日原もとこ
東北芸術工科大学 名誉教授 / 風土・色彩文化研究所 主宰 /
日本デザイン学会名誉会員 / 日本インテリア学会名誉会員 /
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
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