新年一般参賀
令和5年の新年一般参賀でのおことば
天皇陛下
新年おめでとうございます。
この3年近くにわたり、新型コロナウイルス感染症の感染拡大などによって、皆さんには、多くの御苦労があったことと思います。
3年の月日を経て、今日、こうして、皆さんと一緒に新年を祝うことを誠にうれしく思います。
いろいろ大変なこともあるかと思いますが、本年が、皆さんにとって、安らかで良い年となるよう願っています。
年の始めに当たり、我が国と世界の人々の幸せを祈ります。
京都御所 新春の展示(令和5年 干支「卯」)について
宮内庁京都事務所は、新年に、京都御所において、新春にふさわしい展示を行います。
今回は、令和5年の干支である卯にちなみ、桂離宮及び京都御所に伝わる兎の絵が画(えが)かれた建具を展示します。
今後も毎年、新春にふさわしいものを展示する予定との事です。
京都御所 新春の展示
(令和5年 干支「卯」
今回の展示作品
萩に兎 狩 野 派 筆 江 戸 時 代 初 期
桂離宮古書院の御輿寄(内玄関)にある杉戸です。右面には、萩や薄の中で穏
やかに座る丸く可愛らしい兎が2羽、左面には、何かに気づき、片方の前脚を上げ
ながら振り向いている兎が1羽画かれています。
江戸時代後期の記録では狩野永徳(1543~1590)の作品として伝わっている
ものの、絵の様式などから、二条城遠侍の障壁画を画いた狩野甚之丞(?~162
6)の作品である可能性が指摘されています。
群獣に草木 岸連山筆 安政5年(1858)
天皇の御書斎として建てられた京都御所迎春の南の間には、北側と西側に
計8面の襖絵があります。画題のとおり、8面全体に様々な種類の動物や四
季の草木が画かれています。本展示では、令和5年の干支である兎がいる
北側4面を展示します。
金泥を用いた霞の中に、右側から山羊・馬・猫・猿・犬・牛・鹿・狸・兎が配さ
れ、動物の間には若松・桜・百合・アザミなどが画かれて、ほのぼのとした雰
囲気を感じさせます。
筆者は岸駒(1749~1838)を祖とする岸派の三代目に位置した岸連山
(1804~1871)で、動物の絵を得意とし、塩川文鱗・中島来章・横山清暉
らと共に幕末の「平安四名家」と評されました。
清所門からご入場下さい。
京都御所「清所門」
1 期間
令和5年1月5日(木)から1月9日(月・祝)までの5日間
2 入門時間
午前9時から午後3時20分まで(清所門の最終退出時刻は、午後4時です。)
3 展示
「萩に兎」(桂離宮古書院御輿寄(おこしよせ) 杉戸絵)
「群獣に草木」(京都御所迎春(こうしゅん )襖絵)
4 展示場所
京都御所 宜秋門番所
5 その他
・申込手続不要で見学できます。
・入場は無料です。
・参観される際は、マスクの持参及び手指消毒をお願いします。
マスクは、他の人の近く(2m未満を目安)で会話をする場合や屋内施設では、着用をお願いします。
・入門時には非接触型体温計で検温を実施します。
・体温が37.5℃以上の発熱がある方及び体調の優れない方は入場をご遠慮願います。
・新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、入場を制限する場合があります。
・手荷物検査を実施します。
照会先:宮内庁京都事務所庶務課
電話:075-211-1211(8:30~17:15 平日のみ)
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
宮内庁 〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1 電話:03-3213-1111(代表)
紅山子(こうざんし)
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京都御所・京都御苑
建礼門(けんれいもん)
京都御所の正門で,天皇陛下のご通行のほか,外国元首などの国賓来訪のときに開かれます。
794年、桓武天皇が平安京へ遷都した当時の内裏(御所)は、この京都御苑から約2km西に位置していました。現在の京都御所は内裏の焼失等の際に、天皇の仮住まいとなった里内裏のひとつである東洞院土御門殿に由来するもので、1331年(元弘元年)、光厳天皇がここで即位されて以来、御所とされたものです。
1392年(明徳3年)の南北朝合一によって名実ともに皇居に定まり、明治に至るまでの 約500年の間、天皇の住まいでした。建物自体はその間も焼失を繰り返し、現在の建物は安政2年(1855年)に平安時代の内裏の姿にならって再建されたものです。
紫宸殿(ししんでん)
即位式などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿で,入母屋桧皮葺の高床式宮殿建築です。中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」,その東に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれています。現在の高御座と御帳台は,大正4年(1915年)の大正天皇の即位礼に際し,古制に則って造られたものです。今上陛下の即位礼の際には,東京の宮殿に運ばれて使用されました。 建物中央の階段脇には,東に「左近(さこん)の桜」,西に「右近(うこん)の橘」があり,前面には白砂の南庭(だんてい)が広がっています。
ZIPANG TOKIO 2020「京都御所 宮廷文化の紹介」<平成29年秋>について
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3033508/
日本遺産 明和町「斎宮跡」
斎宮とは
竹の都 斎宮(さいくう)。それは、天皇に代わり、伊勢神宮の天照大神に仕える斎王の住まう所であった。そこは碁盤の目状に道路が走り、木々が植えられ、伊勢神宮の社殿と同じく清楚な建物が100棟以上も建ち並ぶ整然とした都市で、そこには斎宮寮を運営する官人や斎王に仕える女官、雑用係などあわせて500人以上もの人々が起居し、当時の地方都市としては『遠の朝廷(とおのみかど)』と呼ばれた九州の太宰府に次ぐ規模を持っていたのである。また、斎王を中心とした都市であることから、斎宮では貝合や和歌など都ぶりな遊びが催された。また、都との往来もあり、近隣の国からさまざまな物資が集まるこの地方の文化の拠点でもあったと考えられる。
In the mythical tradition of Japan, Amaterasu Omikami, lived as a god in the Ise Shrine, in place of the emperor. Saio served the god and she lived in Saiku. Saiku was prosperous from the latter half of the seventh century to about the 13th century. There were many buildings in Saiku. It was a large scale local city where many people lived and worked.
ZIPANG TOKIO 2020 「特別編 斎王~明和町より~伝説と歴史が伝える歴代の斎王74名について」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3020519
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ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
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ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
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ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
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