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全国の姥神像行脚(その48)山形県 庄内地方
その7で紹介しましたが、鶴岡市羽黒町、小関坊にある青銅製の姥神像は、月山の金姥まで背負って運んで祀り、また背負って運びおろしていました。この方法は、その11で紹介した長野県大町市の佐々成政が立山の姥神像を背負って運んできた伝承と似ています。
もしかすると、庄内地方は古くから酒田港が栄え、全国の様々な情報が入ってきていましたので、長野県の伝承を参考に小関坊の祀り方が生まれたのかもしれません。
山形県庄内地方では、小関坊と似た祀り方をしているところが他にもありますので、今回は小関坊のほかの、同地方にある姥神を紹介したいと思います。
【山形県鶴岡市】
・三森山・天翁寺
天翁寺にある姥神像
三森山にある留守番用の姥神像
鶴岡市にある三森山は、優婆様くねりと呼ばれる行事が夏に行われていました。これは、同山の麓の天翁寺にある姥神像を山の上にある堂に運び、お祭りをしてまた戻ってくるという行事です。おそらく上記の小関坊の信仰をモデルにしていると思われます。同寺の姥神像だけでなく、山上の堂にも留守番用としてつねに石の姥神像が祀られています。これらの姥神像については、どちらも本尊―姥神型として祀られたと考えられます。
・円福寺
円福寺にある姥神像
鶴岡市、旧藤島町にある円福寺に姥神像があり、葬頭河の優婆尊と呼ばれています。この像は鉄製で頭と身体の2つの部分にわかれ、また室町時代の作品とされ指定文化財になっています。同じく金属製である小関坊の姥像のように、月山の金姥に運んでいた可能性もあります。仏像のように祀られていますので本尊―姥神型と考えられます。ちなみに同寺にはもう一体、十王像と一緒に奪衣婆像が祀られています。
・玉川寺
玉川寺の乳母堂
玉川寺の乳母像
羽黒山の麓、羽黒町にある玉川寺は、鎌倉時代の開山で、国指定名勝の庭園や九輪草の純群落地が有名です。そのそばに乳母様と呼ばれる像が祀られた堂があります。通常のいわゆる片膝を立てた奪衣婆の姿の像ではないようですがその名前や祀り方から姥神信仰と考えられます。堂のなかに単独であることから本尊-姥神型として祀られていたと思われます。
【山形県庄内町】
・光星寺
光星寺にある姥神像
庄内町にある光星寺は、神仏習合のためか稲荷神社のように境内に鳥居や狐像がある寺です。同寺の境内に姥神像があります。境内の入口側にあるため、境界-姥神型として祀られていると考えられます。
・永源寺
永源寺にある姥神像
庄内町に永源寺があり、その墓地に姥神像があります。他の石仏と一緒にまとめてあり、そのなかに閻魔像もあります。そのため、この像についてどのような意味で祀られたのかは残念ながら判別できません。
【山形県酒田市】
・林秀寺
林秀寺にある姥神像
酒田市の林秀寺に姥神像があります。優婆尊天と呼ばれ、小関坊や円福寺のもののように金属でできているとのことです。昭和20年頃、米沢市の照陽寺からいただいたものだとのことです。屋内にありますので、本尊-姥神型として祀られたと考えられます。
庄内地方では姥神像を本尊型として祀る箇所が多く、また山へ運んで祀るといった風習もあり、村山地方とは違った形での信仰があったことがわかります。現在は同じ山形県ですが古くは国が違っていましたので、文化の違いがあったのかと思われます。
参考
ZIPANG-3 TOKIO 2020~全国の姥神像行脚(その7)~出羽三山「月山の金姥とは」・・・【寄稿文】 廣谷知行
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6424113
立山から運ばれた姥神像
この姥神像の縁起を見ると、天正12(1584)年に富山城主だった佐々成政が、厳冬期に立山さらさら越えを通って徳川家康のところへ向かう時、立山の姥堂で安全祈願した際、道中の安全を願って最澄作の大姥尊像一体を譲り受け、これを背負って来たとのこと。このとき、無事に山を越えられたので大町市にこの姥神像を寄進したとされます。この時村人たちは、「内密にせよ」と言わていたので密かに祀っていましたが、元和3(1617)年になると堂を建立し、うやうやしく安置したということです。
最澄作の大姥尊像が安置された厨子
ZIPANG-3 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その11)内密にせよ 「 富山城主だった佐々成政が寄進した 最澄作の大姥尊像 」・・・ 【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/7170547
続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
アーカイブリンク記事をご覧ください。
江戸時代、酒田をはじめとする日本海の港や北海道の港から江戸や大阪に、米や魚、特産物などが船で運ばれていました。
船は津軽海峡を通り江戸へ向かう東廻り航路と瀬戸内海を通って大阪、江戸へ向かう西廻りの航路があり、西廻りの航路を走る船を北前船と呼ぶようになりました。
東廻りの航路では太平洋側を北へ向かう黒潮の流れに逆らって進む必要があるため、西廻りの航路の方が荷物を安く運べ盛んに利用され、酒田は北前船の寄港地として「日本の中心!?」と言われるほど繁栄した歴史が随所に残っています。
北前船は単に荷物の運搬をしていたわけではなく、寄港地で安くて良い品物があれば買い、船の荷物に高く売れる物があればそこで売る。さまざまな商材を取り扱い「商売」をしながら日本海を航海する、まさに「総合商社」と言える船です。
また、北前船は「米を1千石(150トンの米)積むことができる大きさ」という意味から千石船ともよばれ、北前船史上最大の船は、2400石も積むことができ、巨大な帆1枚で逆風でも進むことができる、すぐれた帆走性能のある船です。
北前船の国内最大1/2スケールの模型船が日和山公園で見ることができます!
ZIPANG-4 TOKIO 2020 北前船で栄えた湊町 酒田 & 見ているだけで寒い~子どもたちの飛鳥神社裸参り
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7478241
小浜西部地区
平成20年6月9日の官報告示で、小浜市小浜西組伝統的建造物群保存地区(約19.1ヘクタール)が国の重要伝統的建造物群保存地区として、正式に選定されました。
江戸時代中期まで日本海側で有数の港町として繁栄していた名残を今に伝える優れた歴史的な町家建築物等が数多く残っています。特に、三丁町通りや八幡神社以西の旧丹後街道沿いには、歴史的町並みが残っています。
小浜は、古くから若狭の中心地であり、中世の頃には京に最も近い日本海側屈指の湊町として繁栄していました。大永2(1522)年には若狭武田氏が後瀬山城を築き、山麓には居館を配置し、町を整備しました。江戸期になると、京極家が小浜城の築城を開始し、これを中心とした町づくりを進め、中世の頃には武家と町人が混在した小浜の町は町人地として整備されることになり、東・中・西の3組に分けられました。現在、小浜西組で構成される町並みは、現存する明治4(1871)年の地籍図とほぼ同じ形態であり、茶屋町だけでなく、丹後街道を基軸とした町割全体が評価されています。
小浜西組茶屋町 滋賀県のベンガラ格子の町並みと見紛うような(ベンガラは近江商人により山形から)・・・それもその筈
実は、小浜(おばま)は幕末まで近江(現:滋賀県)でした。当然生活習慣、言葉も福井弁ではなく江州弁(近江)であった。
かって小生は小浜に行く時には、福井県の敦賀経由ではなく琵琶湖西岸の高島郡更に深い谷のある峠を経由したものです。(当時、北國街道の木之本から敦賀までの道のりは何時通っても大渋滞で、現在の2~3倍の所要時間であったことも理由の一つ)
ZIPANG-2 TOKIO 2020~伝統の若狭瓦北前船で北海道へ~「小浜市の国重要伝統的建造物群保存地区を歩く(その4)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4815904
北の海の玄関口の一つである函館は、幕末期から開港場として発展しました。函館山の麓には、異国情緒が漂う町並が広がり、その中心部分が保存地区となっています。重要文化財の旧函館区公会堂(明治43年)や函館ハリストス正教会復活聖堂(大正5年)が高台に聳え、港沿いには煉瓦造の倉庫群がひろがり、その間に和洋折衷の独特な形態を持った住宅が点在して残っています。
函館 和洋折衷様式「旧相馬邸」
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~郷土報恩の志~ (その2)「函館は異文化交流が重層した街 ・ 港がもたらした広い視野と融合の美学」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4743028
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ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
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ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/
615件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
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